アレキサンダー・マックイーン

ファッションデザイナーには同性愛者が多い?

確実にその地位を物にしていたトップデザイナー

今現在でも活動しているファッションデザイナーのほとんどは公私共に順風満帆な人が多いことだけは確かなことだ、しかし人という生き物は何か1つでも歯車がかみ合わないとあっという間に精神にその影響をきたしてしまう。それも恐ろしいほどのスピードでだ、また不幸の連鎖とは言ったモノで本人に辛いことが生じると続けざまでさらに追い込まれるような出来事が頻発することもがある。誰もが経験したことがあるかもしれない、大きいこと・小さいことと分けることなく不幸と感じる事は何かに釣られて発生するように仕組まれているのでは、と感じる人も多いかもしれない。

この人もまた仕事としての面ではその地位を業界では大きく評価されていた人物でありながら、まだまだ早すぎる死を迎えてしまった『アレキサンダー・マックイーン』を業界で知らないものはいないだろうという人がいた。彼の出身はアメリカではなくイギリス出身となっているが、ファッションとしては常に最先端を歩いているヨーロッパ地方において、それまでにないファッションのデザインを作り上げることに成功したことでも知られている。型にはまらないデザインと衝撃を有しており、斬新過ぎるデザインは各方面から賞賛を受けることとなり、前衛的なファッションをモチーフとしているアーティストなどから絶大な支持を得たことで彼の名も瞬く間に世界中へと駆け抜けることになった。

まさに何もかもが全て軌道に載っていたはずの時に、いきなりの訃報が業界へと知れ渡ることになります。それはアレキサンダー・マックイーン本人の死だった。後に判明した死因によると窒息死であり、しかも自殺だったことも発覚した。それ以上に彼が死に場所として選んだのはクローゼットの中ということが衝撃過ぎる事実だった。ファッションデザイナーとして一躍世界にその名を轟かせることに成功した人間の選んだ結末は自信が愛していたはずの服の中での自決だった。何があったのかと憶測が飛んでいるが、それは彼自身のプライベートに関係しているのではないだろうかと考えられている。彼が命を断つことになる1週間前には彼が愛していた最愛の母が亡くなる出来事もあった。精神的に来る負担はやはり計り知れないだろう、ただそれで人が死ぬ理由としての要因となりえるのかと疑問に思う人がいるのかもしれない。それ以前に彼は仕事が順調といっている中で、プライベートでは彼もまた同性愛者であることを公言しており、そして確かにパートナーと結婚していた時期もあったようだが、その後離婚が成立したという。

独身へと返り咲いた際にはまだ新しいパートナーとの出会いに恵まれる事のないまま仕事を継続している中での、母の死は彼にとって大きな負担へとなってしまったことだけは確かだろう。真相など誰も知ることは出来なくなっているが、生前のアレキサンダー・マックイーンというデザイナーが抱えていた心の闇は計り知れないものだったのかも知れない。彼がこの世を去ってしまったことでファッション業界にとっては非常に大きな痛手だったと述べる人が相次いだとも言われている。ではそんな彼の生前とはいかなるものだったのか、考察していこう。

ロンドンの下町育ち

ファッションデザイナーとしての才能を持っている人というものは生まれた環境からデザイナーとしてのみとを歩むことが決められている、ということではない。アレキサンダー・マックイーンの出自はロンドン郊外、日本で言うところの下町で6人兄弟の末っ子としてこの世に生を受けることになる。彼の父親はタクシー運転手という、どう考えてもファッション業界とは縁のない世界で仕事をしている人だった。そんな彼が本格的にファッション業界へと道を歩むことになるのは16際のころに学校を辞めたときのこと、ロンドン中心部にあるショッピングストリートの『サヴィル・ロウ』のテーラーにおいてアシスタントとして雇用されることになる。その後イタリアのロメオ・ジリのアトリエに勤務することになるが、再びロンドンへと戻ってくるとデザイン学校へと入学してここでファッションにおける基礎を学ぶことになる。

彼の最初の転機となったのは学校の卒業式にて行われた卒業コレクションの際に、Vogueの編集者でありスタイリストとして知られていた『イザベラ・ブロウ』の目に留まったことでデビューが実現することになる。しかもまだ素人同然の無名新人でもあった彼の作品を全て購入するほどの入れ込み立ったということから、当時から周囲とは一線を画した才能を有していたということが伺える。それからロンドンコレクションへの参加、ジバンシーのデザイナーとして抜擢されるなどの活躍を見せていたが、あるトラブルによってジバンシー社と仲違いをしてしまい、契約終了と共に更迭されるなどの破天荒な一面もあった。しかしそれでも彼のデザインセンスが衰えるということはなく、その後も自社ブランドであるマックイーンを中心として斬新且つ前衛的なファッションを提供して行くことで世界中に彼のブランド支持者を作り出すことに成功するのだった。

こうしたまさに人生の最高点に達していると思われていた最中による自殺だった、彼の突然すぎる死は死亡が確認された同日の午後に発表されるなどのスピード報道となった。また彼の死がもたらした影響はその後、ファッション業界におけるスーパーモデルとして有力視されていた者達が相次いで命を絶っていた時期でもあった為、尚のことこの事件は大々的に地元メディアなどでも報道されることになったという。惜しい人物をなくした、ファッション業界に現れた革命的異端児であったなどといわれていたアレキサンダー・マックイーンの死を嘆く声も大きく聞かれた。

ファッションデザイナーとして

イギリスの鬼才デザイナーとして知られていたアレキサンダー・マックイーンというのはかなり異端のデザイナーであった。彼の開くファッションショーもそのタイトルが明らかに卑猥なものを連想させるようなものとなっている。一例としてあげると、次のようなものだ。

  • ハイランド・レイプ
  • ゴールデン・シャワー

どう考えてもこの単語を聞いていい印象を持つ人はいないだろう、特にイギリスというかつては貴族階級を兼ね備えていたことも会って社会秩序と上下関係、そして既存の社会体制などによってバランスを保っている国ほどこうしたものを下劣なものとして卑下する事は少なくない。むしろ侮蔑的に扱われるものとして見られるが、彼の作りこまれたファッションは高級仕立て屋で働いていた確かな技術と洗練されたセンスによって、そうした言葉を黙らせる力を持っていたのだ。

さらに停滞期に会ったファッション業界において常に新しいスタイルを追求する姿は、今後行き詰るであろう問題を根本から解決する事の出来るデザイナーとして有力視されるなど、奇抜でド迫力のファッションによって誹謗中傷を物ともしないだけの力を備え持っていた。コレではいかに上流思考の強い人間からしても、一件粗暴な造りをしている服でもそれまでにない服を創り上げる事に成功した彼の服を賞賛する声を聞いては何も言い返せなくなった事は間違いない。そんな矢先の彼の死、それは彼の服を好んでいた人々はおろか、顧客として親しい付き合いをしていたスター達にも影響を及ぼしていた。

特に彼のファッションを常にプロモーション活動に用いることで話題を掻っ攫っていた『レディー・ガガ』もまた、アレキサンダー・マックイーンのファンの一人として知られていた。彼女が着用するあまりに異色な格好のほとんどをデザインしたのは彼の作品だった。そんな彼女もまた、彼の死の訃報を聞いたことで驚きと悲しみ、そして憤りなどを感じたことは言うまでもない。

その後彼の作り出したファッションブランドは継続して発売されているなど、彼の亡き後も確実に顧客を集めている。

ファッションデザイナーには同性愛者が多い?