イヴ・サン=ローラン

ファッションデザイナーには同性愛者が多い?

元祖モードの帝王

かのディオールと友人関係にある、またその他シャネルやポール・ポワレといった女性にとっては憧れのハイブランドでもある『シャネル』を作り出したデザイナーたちと共に20世紀におけるファッション業界をリードし続けていた『イヴ・サン=ローラン』もまた、代表的なファッションデザイナーとしてその歴史に花を添えることになる一人として数えるにふさわしい人物だ。残念ながら2008年に死去してしまったが、2002年に引退するまでトップデザイナーとして活動し続けていた、アルマーニ氏と同様に『モードの帝王』として呼び声の高い人物だった。ローラン氏が現役引退をすることになったとはいっても、66歳まで活動していたということは凄いことだろう。無論この年齢を過ぎた人が今の時代にはたくさん現役で働いていることを考えると別段不思議なことではないのかもしれないが、常に流行の変化などが激しい世界であるファッションデザイナーとして活動するということは驚異的なことではないだろうか。後進に対して多大な影響を与えているということなのかもしれないが、それでも後から来た新世代に負けることなく走り続けていたローラン氏の凄さが伺える。アルマーニ氏にしろ、ローラン氏にしろ元気に活動しているデザイナーが非常に多いことだけは理解できる。そんなロー卵子について詳しく書いていこう。

1960年代のファッション文化

ローラン氏が最も活躍していたのはディオール氏が活躍していた50年代の次の年である1960年代のことだ、この時代は日本においてもそうだが世界的に高度経済成長期に指しかかっていた時期ということもあって、ファッションの世界においても一層華やかな世界へと進化を遂げることになる。この当時のアメリカにおいて有名だったのが、アメリカ東海岸の名門8大学アイビーリーグを起源としたある言葉だ。

アイビー・バック:ナチュラルショルダー、寸胴型シルエット、細長いストレートなライン、3ボタンなどのこと

これらのファッションが特に流行ったのがこの1960年代のことになる、女性においてはミニスカートが流行の兆しを見出すことになるが、宗教という阻みもあるために国によっては浸透することはなかった。特にイスラム圏において女性が足を出す事は戒律違反をしていることに他ならないのでもしもそのような服装をすれば最終的に死を意味する罰則を施されてしまうこともありえるからだ。このミニスカートはやがて日本にも流行することになるのは言うまでもないだろう。

また60年代はビートルズが流行していたこともあって若者の間では挑発にウエストの細い派手ながらのシャツ、股下の浅いスリムパンツなどが流行することになるなど、ファッションをすることが徐々に定着して行くようになっていった。

この時代には同性愛者という観点からも実は大きな出来事が発生していた。それは1969年に起きた同性愛者の権利獲得運動でストーンウォールの反乱によって、性的不適豪奢が表舞台に立つようになると、色とりどりのゲイスタイルやポップアートなどが流行するようになります。何よりゲイということは身だしなみそのものは一般男性と変わらないということを表現するような動きも見られるようになっていました。アメリカでは大変な騒ぎだったようだ、それだけこの頃になるとセクシャルマイノリティというものの見方にも変化をきたすようになるのかもしれない。そんな動きの中で、ローラン氏も遠巻きでは事態を静観していたのかもしれない。

ディオールも認めたその才能

ローラン氏の逸話としてはあの有名なディオール氏と接点があったということだろう。それだけならまだ分かるが、既にその頃にはパリにて成功を収めていたディオールがローラン氏の実力と才能を認めているということだった。それこそまだ10代で活動していたローラン氏と共にコレクションに出場するとまで言わしめていたほどだという。周りからもう少し年月を重ねないとまずいという体裁で延期されたが、結果的にディオール氏が他界してしまったことで共演する機会を失ってしまったのだった。

その後ディオール氏の生前の恩を返すようにとローラン氏はディオールの破滅的な財政状況から救うために、主任デザイナーとして活動したことによってディオール氏のブランドを守ったのだ。その後ローラン氏を讃えることで『イヴ・サンローランはフランスを救った。偉大なるディオールの伝統は続きます』という見出しを新聞に書かれるまでに評価されたのです。ローラン氏によって旧知から脱却することに成功したことでディオールは現在までに続くハイブランドの1つとして事業を続けているが、それと同時にローラン氏の名前を一気に広めることになる。それこそ当時彼の発表した作品を購入するのは難しい状況に会ったとまで言われるほど、多くの人がローラン氏の商品を求めることになるのだった。

こうしてファッション業界において多大な存在とまで言われるほどに台頭したローラン氏の逸話として有名なのは、フランス版Vogueの表紙にあの黒人ファッションも出るとして有名な『ナオミ・キャンベル』を起用するように手助けをした人としても有名だった。その頃でもまだ黒人に対して風当たりの強かったファッション業界において、頑なに白人のみをモデルとして起用していたファッション誌Vogueの意向を捻じ曲げられるほどの力を持っていたのだ。結果的にその助力によってナオミ・キャンベルは初の黒人も出るとして表紙を飾ることになった。コレだけで見るに、ローラン氏が生前から人種に捕われない人間としての価値を重視していたという面も伺える。その後においても肌の色を気にしていたモデルたちに祐希を与える事になるローラン氏の行動は、ある意味ではファッション業界では人種という壁を取り払うことに成功した革命家としての顔もあったのかもしれない。

ファッションデザイナーには同性愛者が多い?