社会的な風潮として

ファッションデザイナーには同性愛者が多い?

同性愛に対して寛容なアメリカ文化

アメリカと日本、この違いは大陸の大きさという根本的なところから異なっているが、そのほかに民族というものの意識レベルでも大きな違いを出している。どのように異なっているのかという、日本人は常に自分というものを表現することが上手ではないということだ。実際に海外に住んでいる人々からは感情表現などをすることが不得意と見られている風潮も存在している、それはイコールという方式に繋がって性的思考にも影響してきます。日本では同性愛であるということを公言することは、社会的恥辱を与えられることとなり誤解などから異分子としてそれまでに属していたコミュニティから排除されることも十分ありえるからだ。そのため、同性愛であることをひた隠しにしている男女は多いだろう。いつの時代もそうだ、現在ではそれなりに同性愛文化に対して柔軟な姿勢を見せるようにはなっているがまだまだ同姓に対して愛情を持つことが汚いことと考えている人も実際に存在している。

それに対してアメリカでは同性愛というものに対してオープンな考え方をしている、アメリカだけに留まらない世界規模で同性愛に対して認めているところは存在している。ここに宗教などが絡んでくると話がややこしくなる、そしてこの宗教というものの影響によって現在のような同性愛に対する民族意識を和らげるようになるまでかなりの時間を費やしていることも事実として存在している。中には同性を愛する事は万死に値することだと考えているところもある、そのためそういった同性愛者であることを認めている人は公的に認知している国へと足を運ぶことになります。自己の解放を願っての行動となりますが、これはアメリカを始めとした民族的な思考が根底にあると考えられるだろう。アメリカではそういった同性愛ということに対して自己への抑制を行っている人はほとんどいない、むしろそれは自分の特筆している特徴として目立つように努力する。そんな民族的習慣は日本にはない、そしていくら受け入れられるようになったからといって存在自体は認めつつも自分の周囲には同性愛者など存在しないで欲しいと願っている部分も、人によっては抱くこともあるそうです。同族嫌悪といったところでしょうか、自分のセクシャリティは認めているが他人のそうした思考に関しては排他的に物事を考えている人もいます、そうした姿を見ると日本人ほど他人に関心を抱こうとしないなどの民族としていかがなものなのだろうと感じてしまう面が多々存在しています。

それも全て自分の社会的身分を維持するための防衛策なのかもしれない、しかしそうしたことを公言することによってアメリカのファッションデザイナーとして活動している人々の中にはゲイであることを周囲に言うことで、自身の内側を解放することによって前衛的な作品を作り出すという自己表現を為しえている、ということになるのかもしれない。つまりはこういうことなのかもしれない。

同性愛のファッションデザイナーにとって、服飾デザインとは自己表現をするために必要なツールとしている

ことになるのかもしれません。服飾デザインとはつまりは自身を表現することであり、それによって人々に大いに共感を招く事の出来る作品を作り出す事は、表現者として類稀な才能を持っていることに他ならない。しかも身近にあるものを表現すること、それは簡単なことではない。身を削るようなことのように日本人が感じることを、アメリカを始めとした欧米諸国で活動しているファッションデザイナーにとっては長所として誇れる活動なのでしょう。だからこそ、日本の服飾業界にはない同性愛者が多い海外デザイナーの世界は理解できないところが多いのかもしれません。

キリスト教では認められていなかった

ただこうした価値観が生まれたのは現代だからこそだ、それまでにおいて同性愛とは宗教的にも忌むべきものであると考えられていました。世界各地にその影響力を与えているキリスト教における同性愛者に対する考え方もそうだ。実際に書かれている聖書の中身にはこのような事が書かれている。

男がもし、女と寝るように男と寝るなら、二人は忌み嫌うべきことをしたのだ。それは彼らを必ず殺さなければ償えないような大罪である、その血を持って二人には責任を償ってもらうしかない。

これは聖書の中に記載されている一文になるが、旧約と新約、どちらにも同様の内容が書かれていることだけは確かとなっている。それだけ同性愛というものは古代期においてからも忌み嫌われている存在であることに変わりはないからだ。また聖書の中にはとある街で常に同性愛を行っているところがあった為に神が誅伐を与えたとまで言われているほど、キリスト教は同性愛に対しては非常に排除している傾向にあるのだ。

アメリカという多種多様な社会といっても、この国においても主要宗派となっているのがキリスト教に他ならないだろう。そう考えるとアメリカを含んだ世界各地における同性愛というものに対して異常なまでの排除傾向も納得がいく。忌み嫌われることをしている人間など容赦はしない、敬虔な信者から言わせてしまえば同性愛などと公言している人間など認めたくもないのかもしれない。ただそうした運動をすれば当然反対勢力にも影響を与えることになる。世界の仕組みが一枚岩になることこそ理想社会を形成することになるなど、そんな事はもしかしたら妄言でしかないのかもしれない。

日本人は同性愛者に見られやすい?

同性愛者としての街として知られているサンフランシスコも世界的に有名です、世界にはそんな同性愛に対する人々を寛容に受け入れている人も徐々にではありますが増えている。その中でアメリカに住んでいる人からすれば、日本人の男性は非常に同性愛者らしき様相をしているとも言われている。何故なのか、それは現在の若い世代に見られるファッションなどで判断されるためだ。最近では男性服としては自身の体に対して大きくない、むしろぴったりしている服を好んでいる人が多い傾向にある。実際に街を歩いて見ると、そんな服を着て街を闊歩している人は何人も見かけることがあるだろう。しかしそんな姿を見るとアメリカ在住の同性愛者からしたら同族では、と見られるそうだ。

ここでも重要なのは服装だ、アメリカ人男性はそこまで服装に対してこだわりを持っていないラフな格好をしていることが特徴的だ。日本人のように常に普段から来ている服装に対して気を使っているのは珍しいことなのだ、そのため向こうの人にはこのような固定観念が存在している。

お洒落な服を着ている人は、同性愛者だろう

とつながってしまうという。あらぬ誤解を招くことになりかねないと寒気を感じる人も要るだろうが、そもそも向こうの文化において最先端のファッションなどを好んでいる人はそこまで存在していないため、やはり日本人のように常に新しい服を着ているような人はどうしても誤解をもたれてしまうこともあるという。アメリカ文化において既にファッションとは同性愛者の為に存在しているようなブランドである、とまで考えられているほどだ。文化の違いと考えればしょうがないのかもしれないが、日本人からすると時折海外の人間からアプローチを受けることもあるという話を聞くので、困った現象といっていいのかもしれない。

ファッションデザイナーには同性愛者が多い?